【解説】神話

 古事記、日本書紀、あわせて記紀と呼ばれる古い書物。

それらに記されている国生み神話。

【原文】

是(ここ)に天(あま)つ神諸(もろもろ)の命(みこと)以(も)ちて、伊耶那岐命(いざなきのみこと)・伊耶那美命(いざなみのみこと)二柱(ふたはしら)の神に、「是(こ)のただよへる国を修理(つく)り固め成せ」と詔(の)りて、天(あま)の沼矛(ぬぼこ)を賜ひき。故(かれ)、二柱の神、天(あま)の浮橋(うきはし)に立たして、其(そ)の沼矛を指(お)し下ろして画(か)きたまへば、塩こをろこをろに画き鳴(な)して、引き上げたまふ時、其の矛の末(さき)より垂(したた)り落つる塩累(かさ)なり積(つも)りて島と成りき。是れ淤能碁呂島(おのごろしま)なり。

其の島に天降(あまも)り坐(ま)して、天の御柱(みばしら)を見立てて、八尋殿(やひろどの)を見立てたまひき。是に其の妹(いも)伊耶那美命に問ひて曰(の)りたまはく、「汝(な)が身は如何(いかに)か成れる」とのりたまへば、答白(こた)へたまはく、「吾(あ)が身は成り成りて成り合はざる処(ところ)一処(ひとところ)在り」とこたへたまひき。爾(ここ)に伊耶那岐命詔りたまはく、「我(あ)が身は成り成りて成り余れる処一処在り。故、此(こ)の吾(あ)が身の成り余れる処を以ちて、汝(な)が身の成り合はざる処に刺し塞(ふた)ぎて、国土(くに)を生み成さむと以為(おも)ふ。生むこと奈何(いかに)」とのりたまへば、伊耶那美命、「然善(しかよ)けむ」と答曰(こた)へたまひき。爾に伊耶那岐命詔りたまはく、「然(しか)らば吾(あ)と汝(な)と是の天の御柱を行き廻(めぐ)り逢(あ)ひて、みとのまぐはひ為(せ)む」とのりたまひき。如此(かく)期(ちぎ)りて、乃(すなは)ち「汝(な)は右(みぎり)より廻り逢へ。我(あ)は左より廻り逢はむ」と詔りたまひ、約(ちぎ)り竟(を)へて廻る時、伊耶那美命、先に「あなにやしえをとこを」と言ひ、後(のち)に伊耶那岐命、「あなにやしえをとめを」と言ひ、各(おのもおのも)言ひ竟へし後、其の妹に告げて曰りたまはく、「女人(をみな)の先に言へるは良からず」とのりたまひき。然れどもくみどに興(おこ)して、子の水蛭子(ひるこ)を生む。此の子は葦船(あしぶね)に入れて流し去(う)てき。次に淡島(あわしま)を生む。是(こ)も亦(また)子の例(かず)に入れざりき。

【現代語訳】(独学で学んだ程度の知識です。間違いがあればお知らせください。)

天上界の神さまたちが、二人の神さま、いざなぎ(男性)といざなみ(女性)に「海を固めて国をつくりなさい。」と言いました。神さまたちは国造りの道具として天の沼矛(あめのぬぼこ)という矛を、いざなぎといざなみに与えました。いざなぎといざなみは天の浮橋(あめのうきはし)というところから、その矛を下ろし、海を「コヲロ、コヲロ」とかき混ぜました。矛を引き上げると、その矛先からしずくが垂れ、そのしずくは、やがて島となりました。この島を「おのころ島」といいます。

 おのころ島に降り立った、いざなぎといざなみは、天の御柱(あめのみはしら)と八尋殿(やひろどの)を作りました。いざなぎは「どうしたらいい?」といざなみに尋ねました。いざなみが「私には、なりなりしたところがあるわ。」と答えると、いざなぎは「僕には、なりなり出たところがあるよ。」「そうか。僕のなりなりで、いざなみの、なりなりを刺してふたをして国を造るんだ。」と言いました。いざなみは「そうよ。」と答えました。いざなぎは「いざなみは天の御柱の左から来て。僕は右から行くから。」と言いました。天の御柱を回るとき、いざなみは「あなにやしえをとこを」と唱え、続いて、いざなぎが「あなにやしえをとめを」と唱えました。すると水蛭子(ひるこ)という名の神さまが生まれました。いざなぎといざなぎは、ヨシでできた船に水蛭子を乗せ、海に流しました。次に淡路島を生みましたが、水蛭子と同様に数には入れません。

【ガイド】(景色を見ながらお話しする内容)

・矛から垂れたひとしずくを潮と表現すると塩を連想し、聞き手の考察の範囲を狭めるので、矛から垂れるものは、しずくとお話しします。

・上立神岩をいざなぎ、下立神岩をいざなみと言われています。

・いさなぎといざなみが天の御柱を周った周り方から、沼島の周り方を男周りと女周りといいます。

・上立神岩はいざなぎの他にもいわれており、天の御柱であり、天の沼矛の矛先です。

・平バエに八尋殿を建て、ここから国生みが始まりました。

・流された水蛭子は、神戸の一宮に着き、西宮へ運ばれ、えびすさまになりました。

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