【解説】沼島の「ぬ」

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◆にこちゃん塾財団法人淡路21世紀協会発行「国生み神話 日本のはじめと淡路島」より引用

 自凝島(おのころじま)は、淡路島の海人族や民衆が伝承していた想像上の島です。この神話が広まり、朝廷に聞こえると、淡路島の周辺のどこかの島が、自凝島として神話に物語られたものと思われます。後世、自凝島といわれる島や場所が伝えられ、淡路島に関しては、沼島、成ヶ島、絵島、先山(せんざん)、自凝島神社、成山などの説があります。これらの場所は、古代の海人族が信仰の対象としていたところです。

 沼島説では、沼島の「沼」は、「古事記」の天の沼矛(あめのぬぼこ)の「沼」であり、「日本書紀」の天之瓊矛の「瓊(ぬ)」です。これらは、玉・魂・霊に通じ、勾玉(まがたま)に代表される形状は、生命体や霊魂を表し、沼島は玉島ということになります。

◆お話しする内容

 古事記、日本書紀、合わせて記紀といわれているこれらは、どちらも西暦でおよそ700年代前半に書かれました。どちらにも国生み神話が書かれています。よくいわれることとして、元々、何やらそんなような話があちらこちらにあり、それが文字にされたのが古事記であり日本書紀である、という感じです。そしてどちらにも「あめのぬぼこ」が登場します。ただし、文字、漢字が少し違います。古事記では沼島と同じぬまという文字。一方の日本書紀では、現在常用漢字に入っていない画数の多い漢字が使われています。この画数の多い瓊(ぬ)の意味を調べると、きれいな石など、またそこから転じて勾玉など、当時、昔の人たちが大切にしてたものを瓊(ぬ)、あるいは瓊(ぬ)なになにと言うそうです。そこで考えられるのが、神話の矛は特別なホコで瓊(ぬ)の矛、ぬぼこ。神さま、天上界の特別な矛で天のぬぼこと名づけられたということ。仮に沼島が、この700年代に沼島という名前で呼ばれていたなら、きっと、沼島のぬは沼矛のぬといえます。しかし、残念ながらそのころ、700年代に沼島が何と呼ばれていたかは、調べる方法がありません。

 古事記、日本書紀の700年代から300年近くたった、西暦の1,000年ころ紀貫之の土佐日記というのがあります。この土佐日記に沼島という地名が出てきます。土佐、高知県出身で京都で暮らしていた紀貫之が、京都から陸路を通り、淡路島、四国、土佐へと向かう道中で書かれた土佐日記。淡路島から四国に渡るとき「沼島の海賊に襲われたらどうしよ」と書かれています。このことから1,000年ころ、紀貫之のころ沼島は沼島と呼ばれていたことが分かります。

 ここから先は想像でしかありません。そのつもりで聞いてください。1,000年ころ何のきっかけもなしに急に沼島と呼ばれはじめたと考えるよりは、神話のころ、700年代には沼島と呼ばれていたと考える方が自然ではないか。となると、沼島のぬは、やっぱり、沼矛のぬなのかな。というお話。

 古事記や神話を研究している人は無数にいます。それぞれの人がそれぞれの解釈をもっています。私は沼島のガイドなので、沼島を神話の島として推しています。あくまで仮説。こうだったらロマンがあるなあというお話でした。

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