【解説】海人族

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 ◆海人族

縄文人
 縄文時代のお話。太平洋の南の島々。現代の国でいうとインドネシアあたりから、島伝いに北上し日本列島へ来た人のことを海人族といいます。沼島は海人族の影響を色濃く受けたのではないかと考えられています。

 海人族は次の陸地、島が見えると、その島を目指して船をこぎました。その繰り返しで沖縄本島、あるいは奄美大島まで北上したと考えられています。その先、九州は見えないそうなので、漂流し黒潮に乗って、九州、四国、本州へと渡ったといわれています。

日本地図
 沼島の南には紀伊水道があります。紀伊水道は、大阪湾や瀬戸内海の満潮や干潮によって潮の出入り、潮の流れがあります。黒潮で紀伊水道沖合に流れてきた海人族が、潮の流れに乗って紀伊水道を北上する可能性は十分にあります。

 海人族には一つ大切にしていたルールがあるといわれています。大きな陸地に上陸する際、そこにどんな危険がまっているか分かりません。彼らは大きな陸地に上陸する前に、小さな島に上陸し、安心できる環境を作ったとされています。また、海の人々にとって山は非常に重要でした。長い船旅では必ず船はいたみます。船を修理したり新しく作る材料が山にはあります。さらに山があれば真水も期待できます。

 併せて当時海人族の人々は、原始的な宗教にあたる自然信仰をしていました。海やお日さま、山や岩などを信仰していたのです。

 四国や紀伊半島、淡路島に上陸をはかる海人族にとって、沼島は安心できる拠点といえます。まわりの陸地の手前にある小島。というだけではなく、南側には信仰できそうな巨石がいくつもあり、今でも人が暮らす平らなところもあり、さらに水源や船の材料になる山もあります。

 国生み神話についての考察のひとつに、世界を矛でかき回す動作は海水を煮詰めて塩を作る動作だ、というのがあります。その意見が正しいか間違っているか私には分かりませんが、沼島から縄文時代の塩作りに関する石器が出土しています。

 海人族は海のプロフェッショナルです。操船、造船だけでなく、潮や風などの天候を見たり読んだりすることも得意としていました。海のプロ、海人族の影響を大きく受け、沼島の人たちもまた、海のプロへとなりました。縄文時代からだいぶ後となりますが、記録に残る最古のものに、源平合戦で活躍した沼島水軍があります。

 海人族の話を聞いて、さらに沼島の神話と歴史に興味を持ってもらえたらうれしいです。

沼島の海人族については

兵庫県立歴史博物館
のホームページもご覧ください。

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